美の感覚


新潮文庫の『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著/青木薫訳)を買おうかどうしようか思案中。面白そうなんだけど、絶対に理解できないだろう、と。



理系の人たちの頭の中に、とても興味があります。自分がガッチガチの文系なので。
数式を『美しい』と感じる感覚は、私がダンサーの肉体を観て『美しい』と感じるのとある程度はたぶん同じなのではないかとも思うのですが、半分くらいはまた違う『美の認識』があるのだと思うのです。何を持って『美しい』と感じるのかは人それぞれですが、理系の、殊に数学者に共通する『数に対する美』にほんの少しの憧れを感じます。それはほんの数行の文章に震える事とは、また違うんだろう。




今日買った『先崎学の〜』に先崎氏と森博嗣氏の対談が載っていたのですが、その中で森氏が「棋士は皆理系だ」とおっしゃっていました(先崎氏は将棋の棋士です)。まあ、そりゃそうだろう。
本当かどうか知らないのですが、米永邦雄永世棋聖が「兄は頭が悪いから東大へ行った(自分は頭が良かったので棋士になった)」とおっしゃった、と昔聞いたことがあります。すごい世界だなあ。囲碁もそうだと思うのですが、将棋は理系の天才が集まってしのぎを削っている世界なんですね。コンピュータでも勝てない世界。そしてそこにも『美』は存在するようです。棋士の方のエッセイが割と好きで『将棋世界』等立ち読みしたりしているのですが、『惚れ惚れするような盤面』という表現を、幾度か目にしました。『惚れ惚れするような』。その感覚を持つ方々にとってはどれほど美しいものなんだろう。



自分が手にする事の出来ない世界に存在するその世界の『美』を、文系の私はせめて本の中で、文系の頭で想像できる範囲で、ちょっとだけ覗かせてもらう事しか出来ないのでしょうけれど。