だれのせいだ



茨木のり子の『自分の感受性くらい』*1という詩が好きです。
有名な詩なのでご存知の方も多いかと思いますが、全文載せてみます。



ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて



気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか



苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし



初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった



駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄



自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


どうですか、この暴力的なまでに直接的で清々しい凛とした言の葉は。
おもわず「すみませんでした!」とその場で腕立て50回くらいやりたくなりませんか。


時々思い出したように読みたくなる詩がいくつかあって、そのうちの一つがこれです。(あと橋本治の『開戦前夜』*2とかも。言葉のリズムの洪水に揺さぶられる感じが好き。「ページを繰って!」とか)。



この詩を読みたくなるのは大体自分に「喝」を入れたい時です。「誰かに責任転嫁しちゃいたいなあ」とかイライラと思ってる時にふと、思い浮かぶ。テンションが高い時には「くそう!」と気合が出てくるのですが、へこんでるときには追い討ちをかけるようにどん底へと突き落とされていきます。


ちょっとした他人の尻拭いのために残業が続いているのですが、どうしても「なんで私が」と思っちゃうんですね。でもまあ、引き受けたのは自分だし、と。引き受けた以上は自分の仕事になるわけで、これで人のせいにしたらそれこそみっともない。


この詩が言っているのはもう少し大きな事だけれど、それでも日常生活にはこんな事が、小石のように転がっているのです。意識するよりももっと頻繁に。



我慢できない現在の自分の居場所や立ち位置や状況をの全ての責任を、他人に擦り付けて打開も出来ずに澱んでいる人間にはなりたくないなあ、と。今は結構オノレの「負けず嫌い魂」が出てきている状態なので、そう思います。疲れてたら立ち直れない。







しかし納得いかねえ。

*1:詩集として今一番手に入りやすいのは、2005年に花神社から出た『自分の感受性くらい』だと思いますが、一連の『日本語本』の何冊かにも収録されていると思われます。

*2:河出文庫『詩集 大戦序曲』所収/おそらく絶版