20041201大人計画「イケニエの人」世田谷パブリックシアター

以下演劇ぶっく2月号19Pより。一部抜粋。

とある割烹温泉旅館・深緑。対岸で始まったスペースシャトル発着場の建設工事の影響で湯源にダメージを受けたことを発端に偽温泉工作の発覚や女将の青緑の精神錯乱など次々と災難がふりかかり、ついにはダイニング・バビロン真緑支店として再生することに。かつての従業員たちは他に行くところもなく高額の料金を払って研修を受けるが〜(中略)〜その頃、元従業員の一人で料理人の乙骨のもとに、遺跡の発掘をしていた頃の恩師・手数が訪ねてくる。乙骨の過去が、そして尋常ではない食事量の理由がしだいに明らかになっていく。


パッチワークを作ろうと思って端切れをたくさん集めて組み合わせを考えてる途中で飽きた上に納期が来ちゃったのでしつけだけして納めた。って感じ。時間が無かったんでしょうか。
一つひとつのエピソードは良いと思うのです。笑い所もありました。でも詰め込みすぎて、説明不足。得体のしれないモノに一人ひとり襲われていく、というモチーフは「エイリアン」や「トレマーズ」等よく使われていますね。ただ、この芝居の展開からいって、少々唐突な感がありました。次々と登場人物が襲われていき、最後に「尋常でない食欲の」乙骨が、やはり「尋常でない食欲の」得体の知れないモノに唯一の「イケニエ」として吸収されていくのだろう、という構造はわかりましたが(他の人は「食欲」の犠牲でしょう)。そして人間の滑稽な悲しみも一応伝わる。
ビリーと雨利が天井裏に隠したモノが最後の崩壊を招くのですが、これ、立体化させなくても良かったような気がします。物体として出さないほうが観客の恐怖心を煽る。正直言って気が抜けた。
久しぶりの本公演だからといって無理矢理役者を全員出さなくてもいいのでは。もちろん役者さん個人個人はとても良かったです。クドカンの雨利は意表をつく可愛らしさだったし、田村たがめも狂気と紙一重の切なさが良かった。平岩紙の使い方はもったいなかったけど。皆川猿時は主役ではなく脇で最大限に能力を発揮できる人ではないでしょうか。新感線におけるこぐれ修みたいな感じ。主役だと「間」が辛い。

演劇ぶっく2月号のインタビューで阿部サダヲが「訳わかんないけどおもしろかったって感じでいいんじゃないか」と言ってましたが、「面白ければ」いいんだけど「面白い」まで行って無かったと思う。この場合の「面白い」は「笑える」とは違います。
同じインタビューで松尾スズキは「混乱を楽しんでほしい」と答えてますが、「混乱」と「混沌」と「思考放棄」は違う。演劇雑誌で補完しなくてはテーマがわからない、というのは怠慢だと思うのです。読まない人だっているんだから、芝居の中で始末をつけて欲しい(結末をはっきりしろ、というのではなくて)。「お前の頭が悪いんだ」と言われればそれまでですが。
何年も追いかけて観ている劇団なので、これからもチケットが取れる限りは観たいとは思ってますが、この状態がずっと続くとねえ。一時的なスランプであって欲しい。


これはあくまでも私の個人的な感想なので、全く違う感想をお持ちの方は当然いらっしゃると思います。「最高に面白かった」という方もいらっしゃるでしょう。気に障ったら申し訳ない。受け止め方は人それぞれってことで。