車のお話

前の車は、子供の頃からずっと乗りたかった車で、手に入れることが出来た時はとても嬉しかった。
その車は、何年か前に大幅なモデルチェンジをしてしまい、私の好きな形ではなくなっていたのだ。手に入れるとしたら中古しかなかった。しかも私が欲しかったのは、ある年式の限定車。知り合いの車屋に「見つけたら直ぐ知らせて!」と依頼しておいて、自分でも中古屋を見かけると覗いていた。


ある日、運転していたら、突然「ブチッ」という音がした。パンクかな、と思い路肩にとめてタイヤを確認したものの異常無し。不思議に思いつつエンジンをかけようとしたら、まるっきりかからない。普通エンジンがかからない、というと、多少「頑張ってます」と云うような音がするのだけれど、その時はエンジン自体にカケラもやる気が見受けられず、文字通り「うんともすんとも言わない」状態だった。仕方がないので近くのラーメン屋の駐車場に車を置かせてもらい、きょうだいに迎えに来てもらった。次の日、走行中にエンジンベルトがぶち切れた事が判明。その場で廃車が決定した。
新しい車を直ぐに決めなくては、と話し合いしている所、車屋の電話が鳴った。



「車、見つかりましたよ」



こんな偶然があるものか。



呆然とするようなタイミングで、私は念願の車を手に入れることが出来たのだ。


人気のある車だけあって、中古軽自動車にも関わらず、普通の軽自動車なら軽く、車種によっては乗用車も新車で買えるくらいの金額だった。

3年半乗った。

ブレーキの力の入れ具合で止まるモノが止まらなかったり、1リッター10キロしか走らなかったり、故障に次ぐ故障で、買った金額の半分くらいの修理費がかかったり。それでもこの車が好きだったのであまり気にしなかった。運転している事が嬉しかったのだ。今書いててちょっと腹が立ってきたが。よく考えたらなんだよリッター10キロって。


しかし今年に入って、半年で修理費が30万を超えた頃、とうとうエンジンがどうにもこうにもならなくなった。修理するのに数十万、エンジン積み替えでは更に数十万。私には、無理だ。既にもう相当の金額を払っているのだ。だましだまし乗ってきたが、限界だった。


修理屋が根本的な故障箇所を早く見つけてくれれば、とか、最初からエンジン積み替えておけば、とか、今更言ったところで仕方が無いのだ。もう動かない。
直しに直して、私はエンジン以外は新品同様の車を手放した。


私にもっとお金があれば、道楽としてこの金食い虫を飼って置けたのかもしれない。もっと車の知識があれば、故障すら楽しみの一つとして喜々として修理できたのかもしれない。
当ての無い、ただの夢だけれど、将来もっとお金に余裕のある生活が出来るようになったらまた、同じ車を手に入れると思う。そして、故障も愛でつつ時々乗って、幸せな気分に浸るのだ。


道を走っている同型の車種を見ると泣きたくなる。こんなに好きな車は、他に無い。