表紙変更。

通勤の車から見る桜が、もうほとんど葉桜になってきています。花満開の時よりも、葉の緑が強くなってきたころの方が好きです。月並みな言い方ですが、生命力が感じられる。ああそうか、私は「官能」よりも「生命」が好きなのかも知れない。首藤よりも高岸の踊りが心に迫ってくるように(バレエネタですみません)。
それにしても歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」(文芸春秋)というタイトルはいいなあ。




さて、昨日書いた文庫化されて以降の表紙の変遷。手を広げると収拾がつかなくなりそうなので今回は講談社中心に。
まず一例を挙げましょう。と思って、「聖の青春」(大崎善生著/この本、29歳の誕生日に読むこと義務付けたらいいと思う。名作。この次には「将棋の子」も是非)の画像を出そうと思ったのですが、各ブックサーチに登録されている画像が、変更前のものばかりで、比較できません。ぬかった。そりゃ新刊の時に登録するわな。
左が親本。で、文庫は最初は同じデザインで発売されました。
聖の青春 聖の青春 (講談社文庫) 

これですね、次に書店に行かれた際、覚えていたら講談社文庫の棚見てください。表紙変わってるんです。少し幾何学模様のついた白地の真ん中の四角い枠の中に青いこずえの写真。親本や初版のインパクトには欠けるところもありますが、饒舌でどこかさびしげな雰囲気が内容と合っていて良い表紙だと思います。文庫初版は2002年5月。そんなに経っているわけじゃありません。どういう意図で変更したかはわかりませんが(まあ、手は出しやすいかもしれんが)この速さでデザイン変更というのは結構珍しいのではないでしょうか。




発売されてから長い時間が経って、表紙刷新というのもありますね。山口四郎訳版ケストナーの「飛ぶ教室」は一時期出版社在庫切れ、重版未定状態が続いていたのですが(この表現どうにかならんものかと思う。絶版じゃないけど、めったに重版しないもんねえ、古い本の場合。期待を持たせないでほしい)、映画化に合わせて復刊。その際以前はイラストだった表紙を青空に変えています。これも比較したいのですが、古いやつは古すぎて表紙登録されていない。ので、古本屋さんでチェックしてみてください。新しいのはこれ。

飛ぶ教室 (講談社文庫)

へたに出演した子供たちの写真使ってないのがいいですね。児童書版には映画の写真使われていますが。

昨日も書きましたが、映画化の際に主演俳優の写真が使われている場合、中途半端に古くなった時に店頭に並んでいるのをみると気恥ずかしくなりませんか?私はなります。「僕らの七日間戦争」とか。未だに映画の表紙。講談社は帯で映画化主張するけど角川は表紙ダイレクトだもんなあ。海外文学「ン」の所見るとなんか「夢のあと」みたいなものがてんこ盛りです。ただ、「もの凄く古く」なっちゃうとかえって面白いかも知れませんが。「楢山節考」(深澤七郎/新潮文庫)の表紙が 緒形拳坂本スミ子だったり「砂の女」(安部公房/新潮文庫)が岡田英次岸田今日子だったら買っちゃうかも。ああ、でもそれは古本屋の片隅で見たいなあ。新刊本屋では辛いか。



余談ですが、デザインが変わっていないからと言って油断してはいけません。手触りが変わるものもあります。それまでは光沢のある紙だったのが、突然ある巻からマットな物に変わったモノがあります。森博嗣の文庫です。「地球儀のスライス」までは光沢のある、いわゆる「普通の」文庫だったのですが、「黒猫の三角」から変更。マット加工の手触りが好きなので必要以上に触ってしまいます(変態だ)。



他にも「集めている途中でデザイン変更→本棚で背表紙統一せずの悲劇」(例・帝都物語)とか色々思うところもあるのですが、キリが無いのでこのへんで。



なぜこんなにくどくどと表紙デザイン変更について書いているかと言うと、角川文庫の寺山修司のヤツが全部変更になって現在刊行中だからです。モデルの女の子に何の罪も無いのですが、私はあの林静一の絵柄のが好きだったのだ。人物写真使うのが好きじゃないからだと思うのですが、雰囲気がなあ。なんか健康的でさわやかな本になってしまっている。寺山には、いくら本であってもどこか不健康な気配を保ってほしいのだ。アングラというか。使われている紙質は好きなんだけど。




こんなちまちましたネタで読んでくださっている方達は楽しいんだろうかと思いますが、私はすっきりしているので、まあいいか。





明日は皐月賞ですよ。