八百屋のアイデンティティ

ぼんやりしているうちにお彼岸も中日です。お墓参りにはまだ行ってませんが、せめてお線香くらいはたてなければ。

お墓に行く途中に、みかんを買う店があります。他の八百屋さんよりも安いので、少々遠いのですがよく足をのばすのです。いつもここの看板が不思議。
きゃべつ・みかん・いちご・いるか・りんごちょっと待って。


いるか?


八百屋として方向性間違ってませんか。



自然保護の団体の方が見たら本気で抗議を受けそうですが、たしかに私の住んでいる地方では頻繁ではないにしろイルカ食べます。普通は魚屋で売ってるけどね。
今はどうか知りませんが、昔は給食にも出ました。あんまり美味しいもんでもなかった。硬いし。皮の方なんてまるでタイヤ食ってるような感じです。飲み込むタイミングを逃すといつまでもいつまでもいっつっまっでっも噛んでなきゃならないハメに陥る。鯨の代用品みたいなモノだったんでしょう。給食的には。
東海林さだおの「丸かじり」シリーズ(文春文庫)で鯨の美味しさについて書かれていましたね。「口の中でアブラが溶ける」とか。どの巻だったかは覚えてませんが(だってあの量の中から調べるのめんどう・・←おい)。他にも椎名誠はじめ小泉武夫等そりゃあもう沢山の書籍で。郷愁を感じさせるんですかね。昔はメジャーな食べ物だったわけだし。須藤真澄は「ゆず」(秋田書店コミック文庫)の中で関西までさえずりを食べに行く話が出てきます。どの描写を読んでも実に美味しそう。捕鯨問題でおいそれと手に入らなくなってから、「希少価値=美味しいもの」という意味合いも多少は生まれているのでしょうか。意識上の調味料として。不味いっていう描写に出会った事あんまり無いです。特にベーコン。
でもイルカを食べた、という文章にはあまりお目にかかったことが無い。あるのかもしれないけど。イルカで育った私が鯨を初めて食べたのは進学のために上京してからです。同じような生き物なのに、味が違うのだなあと不思議に思ったのをおぼえています。良い部位を食べさせて貰ったからかもしれませんが。今は居酒屋のメニューにあったら頼んでしまうくらいに好きです。イルカは首都圏じゃメニューに載ってるのも見たこと無いなあ。手に入らなくても問題は生じないが。やっぱり「土地の食べ物」なんだろうか。長野の「ハチの子」みたいな感じ?



・・・おかしい。彼岸と絡めて無理やり漱石の「彼岸過迄」に持っていくはずだったのに。