語りますよ。

今日は(いつもだが)自己満足で書いてますので。


初めて自分の小遣いで買った文庫本はコバルト文庫でした。氷室冴子の「ざ・ちぇんじ!」(時代が・・・)。中学生の頃です。遅いデビューかもしれません。
私の家は、食べ物にはお金をかけないのですが、書籍代には頓着無かったんですね。なので、それまではどんな本も全て親が買ってくれていた。(余談ですが、初めて手にした文庫は北杜夫の「ぼくのおじさん」でした。小学生の時「大人が読んでるあのちっちゃい本が欲しい」と訴えたら次の日に母から渡された。今から考えるとたぶん新潮だったと思う。装丁が。ウィスキーの抽選で海外に行く、ものすごくデタラメなおじさんの話だった。ホントに余談だ)
「子供向け」の本からもう少し大人向けの本を読もうと思ったとき、各出版社からYA向け小説は出ていますが、いわゆる「ライトノベル」から手を出す人たちって、わりと多いと思うのです。子供の小遣いで買えるとしたらやはり文庫。
おおざっぱに女子男子で分けると、女子向けは集英社コバルト文庫講談社X文庫・講談社X文庫ホワイトハート小学館パレット文庫・角川ビーンズ文庫等。男子だと角川スニーカー文庫エンターブレインファミ通文庫メディアワークス電撃文庫富士見ファンタジア文庫等でしょうか。パッと浮かんだだけでこれだけのレーベルがある。女子のところで角川ルビーを入れようか迷ったんですが、あえて外してみました。ボーイズラブ小説についてはいずれまた。小学館パレットも微妙な所か?

ここで話は飛びますが、朝の読書ってご存知でしょうか。沢山の学校で採用していると思うんですが、授業が始まる前、学校の指定なり自分で選んだ本なりを規定の時間も黙読する、というものです。学校指定の物だと古典や名著と言われているものが多い。吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」とか幸田文「みそっかす」ファラデー「ロウソクの科学」等。私もこれで幸田文を知りましたし、「君たちは〜」(コペルくん!)は時々読み返します。で。自分で持ってきた本を読んで良い、という場合。前述した「ライトノベル」はダメだ、という学校もあるのですね。ようやく話がつながってホッとした!(私が)
何故ダメなのか。(断っておきますが、大丈夫の学校もありますよ)一つには、ダメだと言っている方達の中には読書というものは崇高なものだ、という固定観念がまだあるのではないでしょうか。読んだ事によって「何か」を得なければならない。もちろんそれも正解です。頭の柔らかいうちに美しい文章や、名著に触れておくのは大切です。大人になると色んな情報が入ってきて、読んでもいないのに読んだ気になってしまう事はよくある事だし。
もう一つ、こっちのほうが重要な理由だと思うのですが「マンガに近いもの」として認識されているのではないか、というものです。「マンガは読書に入るか?」という事。そりゃね、子供にとっては堅苦しい名著よりも「伝説の勇者の伝説」(富士見ファンタジア文庫)読みたいですよ。「姫神さまに願いを」(集英社コバルト文庫)読みたいですよ。じゃあ、それらのライトノベルとたとえば「しゃばけ」(畠中恵著/新潮文庫)とどうちがうの?「十二国記」(小野不由美著/講談社文庫・講談社X文庫ホワイトハート)はどう判断したら?あるいは「走れメロス」とは?「走れメロス」で感じ取れる「友情の大切さ」「約束を守る誠実さ」と少年ジャンプのスローガン(努力・友情・勝利)は相容れないの?最後のは屁理屈ですが。


で、2・3日前にみたN○K「クローズアップ現代」の話題がちょっと引っかかっているのです。
『同年代の作家の登場により、若者の活字離れが食い止められた』という話。
乙一(彼はしばらく前に滝本竜彦(「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」「NHKにようこそ!」等)と組んであちこちの雑誌でライトノベルについて熱く語りまくっていた・・・)はじめ、芥川賞を取った綿矢りさ金原ひとみ、「野ブタ。をプロデュース」の白岩玄等自分たちと同世代の人間が書いたリアリティのある小説が登場したために親近感を抱く若者が活字を読むようになった(じゃあ「セカチュー」のヒットは何なんだって話もあるんですが、置いといて)。これですね、たしかにそうなんですが、「活字」じゃなくて「単行本」に置き換えるとすっきりするんじゃないかと思うんですよ。他の媒体で文章を読んでいる人は結構多い。最近だと「DEEP LOVE」のシリーズ。内容の良し悪しはともかく、ケータイ上で爆発的にヒットしていたわけですよね。他にも講談社とかでも電子文庫売ってたりするし。WEB「読書」している人口はかなり多いはずです。プリントアウトして「活字」として読んだりね。だから書籍全体の売り上げが激減しているといえるんですが。書籍売り上げ減=活字離れと思っているんでしょうね。
活字離れ(読書離れと言い換えても良い)を憂いている方たちは、そういった、その人にとっては「イレギュラー」な読書は「読書」とは認識してないんじゃないでしょうか。ライトノベルを読んでいた、あるいは読んでいる人たちは?
けして「読む事」から離れている人ばかりじゃない。ただ、同年代の作家の登場により「単行本」にも手を出し始めた。という事なんじゃないでしょうか。

一般的に「本が売れない」=「単行本が売れない」という図式になっているので若い世代の小説家の誕生によって「単行本の復権」がなされつつある(かもしれない)、という事に関しては嬉しい現象だと思っています。


もう少し短く纏められれば良いんですがねえ。話の収拾がついてない気がしますが力尽きた。ぜえはあ。
誰もが忘れた頃にこっそり書き直そう。自己満足のために。