20040401首藤康之最後のボレロ

暗闇。
細い旋律が空間を漂い始める。
スポットライトが中空を照らす。手首。
手首がうねる。
スポットライト。双方の手首。
赤い円卓には一人の「メロディ」
旋律はひとつひとつ楽器を増やして行き、スポットライトが身体をひとつひとつ暴き出す。
円卓を三方囲む椅子には数十人の「リズム」。
2人・4人とリズムが加わっていく。
端整に、何かに挑むように次第に激しくなっていくメロディ。
そして訪れる飽和。


これを最後に東京バレエ団を退団した首藤康之ボレロ
首藤康之をご存じない方もいらっしゃると思うのですが、タワレコの「No Music No Life」で椎名林檎と一緒に鎌倉デートしていた人、といえばわかる方がおられるでしょう。
東京バレエ団の看板ダンサーでした。

ラヴェルの「ボレロ」を二十世紀最高のコリオグラファーモーリス・ベジャールが振付けた傑作。

「メロディ」は女性も男性も踊りますが、男性版はベジャール自身のバレエ団を除けば、長い間東京バレエ団の高岸直樹と、彼、首藤康之だけでした。(女性はシルヴィ・ギエム。最近上野水香も)
十回近く首藤のボレロは観ていますが、ずいぶんと変容したように思いました。

彼の踊りの最大の特徴は「官能的」だということです。まあダンサーというものはすべからく官能がないと成立しないものですけれど。

同じボレロダンサーである高岸直樹が大地から湧き上がる脈動をその身一杯に帯びて放熱するような、生命を太陽に捧げるような、そんな踊りだとしたら、首藤康之は「深夜」。
滴るようなエロティシズム。指の先まで、身体を伝い、そして飛び散る汗一粒一粒までも、色がついているような。

しかしここ数年変わってきたように見えたのです。
ストイックに。求道者のように。
踊りというものは面白いもので、内面がすべて表現されてしまいます。
首藤自身の変容、バレエに対しての考え、演目に対する解釈。
過渡期が来ていたのかもしれません。
最後のボレロは、情熱的ではあったけれど落ち着いた感じがして、正直に言うと少し物足りなかった。もちろん素晴らしいステージでしたが。

これからは東京バレエ団には特別団員として籍を残し、独自の活動をしていくとのこと。
他の団員が退団する時のことを考えたら、ありえないくらい盛大な花道を用意してもらって辞めていくのだから、揺るがずにしっかりと前を向いて自分の道を歩んでいってほしい。
それが彼の踊りを愛したファンへの答えなのだから。


ダンサーではなく「ボレロ」自体について書き出したらきりが無い。
いつか、書きます。