てめえでやれよ

今日の買い物
 188. 『風の王国 初冬の宴』  毛利志生子著 集英社コバルト文庫





夏休みの宿題を請け負う仕事があるそうで、その法外な値段設定とそれを支払う人がいる、というこの資本主義社会に呆然とします。『資本主義社会』という言葉の使い方が間違っている気がしてなりません。まあいいや。気にすんな。



読書感想文は2万円から5万円くらいだそうですが(新聞で見る限り)、実は去年、真顔で依頼されたことがあります。お客様に。



「本屋さんはやっぱり本いっぱい読んでるんでしょ」
「いえ、そうとも限りませよ。全く読まない方もいますし」
「でもどういう本が人気がある、とか、どれが感想文書きやすいとかわかるんですよね?」
「スタンダードなものをお奨めすることは出来ますが、書きやすいかどうかは、ご本人がどういう感想を持つかだと思いますよ」
「ウチの子本読まなくて、書くことも苦手なんですよー、書いてもらえませんか?



ここまでなら、誰がどう考えたって冗談だと思います。特に常連のお客さまではなくても。私も冗談だと思いましたので笑って、でも少しイヤな感覚がしたので、ヘタに返事をしちゃならん、と冗談まじりに断りました。




いくらくらいなら書いてもらえるんですか?



呆然としました。言い方は悪いんですけど、ちょっと正気を疑った。親がこういう事言いますか。過保護にもホドがある。しかも相手は文章書く仕事をしているわけじゃない、見ず知らずの書店員ですよ。なんなのそんなにせっぱつまってるの、としばらく動けなかった。プロじゃないから安いと思われたんでしょうか。とにかく誰でも良かったんでしょうね。



去年の段階では、そういう請負をしている人がいると云うのを、噂でしか聞いた事が無かったんです。冗談だと思ってた。





「感想文を書かなくてはいけない」と思うと、読書が面白くなくなる、というのもわかります。あと「読書嫌いな人も義務的に読まなくてはいけない」というのもマイナスポイントでしょうか。

感想文っていうのは読んだ後自分に残る何かつかみどころの無い感情を一旦文章にしてみることで、ああ、自分はこう思っていたのか、と確認する作業だと思います。特に上手いこと書かなくてはいけないわけじゃない。感情も表現する言葉も人それぞれなんだから。そして書くことで自分の中に眠っていたボキャブラリーが発掘されることもある。発掘されたらそれをまた別の所で有効利用することも出来る。
「面白かった」だけでも別に良いじゃない。それ以外に表現しようがない本だってあるよ。その本が何故自分にとって面白かったかを延々と書いたっていいじゃないですか。偉そうなこと書かなくたってさ。誰かにやってもらったら全く意味が無い。




でもそんなに苦痛ならやってかなきゃいいじゃないか。死ぬわけじゃなし。




夏休み最終日にドリル3ページおきとか、書き取り40ページとかでごまかしてあとは放置していた私はそう思うのですが。
みんな変に真面目なのねー。というか、『結果さえ良ければ経過などどうでもいい』というのは「歪んでいる」と云う事にはならんのか。
自分でやらなきゃ意味が無いのにね。何のための勉強だよ。本末転倒。