本を読む

  わ か っ て い ま す な に も い わ な い で



どうやら精神に動揺が走ると本を大量に買う傾向があるようですね。プチ依存症?
寿退団ってなんだ橘義!役者廃業?芝居でヨメを食わせていったっていいじゃないか。久々に期待してた、姿勢のいい役者だったのにー。スクデリに関しては今はあまり考えたくない・・・。

ハガレンはハボック受難の巻ですね。良かった本体背表紙から落ちてて。好きなキャラクターだけに今後はどうなるかが気になるところ。雑誌がすごいことになってるからなあ。
しかし毎年思うが「演劇ぶっく」の年間チャートと私のチャートが一致した事って、一度も無いな・・・「走れメルス」はもっと上ではないのか?



さて、川崎洋氏編の「こどもの詩」。わたしはこれがとても好きです。文春新書からも「こどもの詩」というタイトルで出ています。元は読売新聞の1コーナーだったそうですね。書籍にはおそらく全て所収されてはいないと思います。
川崎氏のコメントが、やさしい視線で、でも決して「こどもだから」と一段低い目線で見ることなく、「言葉を扱う対等の人間」として書かれているのが気持ちがいい。昨年お亡くなりになられて大変残念です。

収められている詩をながめていると気がつきます。これは私の感性や好みの問題もあるのですが、「いいなあ」と思う「詩」(親が書きとめた言葉も含む)は学齢期に達する前のこどものことばが圧倒的に多い。

ある程度の知識や語彙が増えてくると、どうしても言葉に装飾をつけたくなりますね。大人の文体の楽しさや美しさは装飾の美しさです。美文と呼ばれる文体たちは、一見シンプルではあるけれど、とてつもない技巧で織り成されている。
まだ「言葉」の洗礼を受ける前のこどもは、自分の使用できる「ことば」で本質のみをわしづかみにする。どちらが優れている、ということではないのです。ただ、長く生きているうちに固定観念ができてしまい、自由に発想する事が難しくなっている大人から見ると、こどもは自由自在に「ことば」と「世界」と「想像」の中を走り回っているように見える。とても、うらやましい。そこにはぐりとぐらのホットケーキがあって、タッタちゃんとタアタちゃんがいて、カラスはパンやさんを開いているんだろう。


一つの例を挙げます。
大人がどんなに言葉を尽くして、「本を読む」という事はどういうことかを他者に訴えようとしても、この一言にはかなわない。
以下中公新書ラクレ「にんげんぴかぴか こどもの詩2」43ページより。5歳の女の子の言った言葉。

ママ  えほんのなかにいってきます

読み終わり「ただいま、たのしかったよ」と言い、ママも「おかえり」と言ったとのこと。



脱帽。これが「本を読む」と云う事だ。